2011年5月24日火曜日

文化政策学と学問的中立性~第1回研究会「ボウモル&ボウエン理論の射程を考える」を踏まえて

先月の文化政策研究会においては、ボウモルのコスト病の実証的基盤の不確かさが明瞭になった点で、大変成果があった。Baumol&Bowen(1966)のデータは明らかにおかしいと思っていても、いかんせん、文系人間の自分は「数字」に自信がない。今回、第一線の労働経済学者による分析に接することができたことで、院生時代以来の宿題が漸く解決した思いである。

先日の研究会でも指摘され、議論したことだが、そなってくると、問われるべきは、何故、そのよに問題の多い理論であるにもかかわらず、ボモルのコスト病の理論は、当時のアメリカ社会に受け入れられ、特に、リージョナルシアターの現場で働く人達に熱烈に受容されたのか、そして、多くの文化政策研究者は、コスト病の存在を疑わず前提としてきているのか、といことになる。

第1の論点については、アメリカでのB&B受容の前提として、「芸術は良きもので広めなくてはならない」とい、かなり楽観的な芸術観が、1960年代前半のアメリカを席巻していたといことがある。また、そのよな時代の空気が、アメリカにおいて、文化芸術への公的助成をおこな全米芸術基金(NEA)の設立に寄与した、といのも、歴史的事実であることは間違いない。日本でも「モノの豊かさからココロの豊かさへ」とい標語があったが、それに近い感覚が当時のアメリカにも存在していたと考えられる。

しかしそのよな熱狂は、アメリカにおいてはその後、急速に終息に向か1970年代以降、NEAの存在意義は概ね縮小を意義なくされ、そして現在に至る。従って、アメリカにおいて、ボモルのコスト病が公的助成の根拠とみなされていたのは、ごく短い期間の間のみである。むしろそれは、寄付のための説得的なレトリックとして、舞台芸術の現場において使用されてきた面が強い。

そこで第2の、どして演劇の現場でB&Bが熱烈に受容されたのか、とい論点となる訳だが、B&Bの論が、オーケストラでもオペラでもなく、出版当時、急速に発達しつつあったリージョナルシアター業界に、最も熱烈に受けいれられたことと、NEAの予算配分が当初、演劇ジャンルに大きく偏って手厚いものだったこととは、大いに関係がある。オケもオペラも(そして美術館も)当時は富裕層のパトロンの存在によって経営を成立させており、公的資金は不要なばかりか、政府の介入として危険視する向きがあった。当時、リージョナルシアターだけが、パトロン制度によらない不安定な財政基盤にあって、公的助成を切実に欲していた。そして、リージョナルシアターだけが、ブロードェイの商業演劇によって長年形成されてきた「演劇はもかるもの・採算がとれるものTheatre pays for itself」といイメージを払拭する、強力な論理を必要としていたのである(青野2009)。

実際、コスト病の論理は、助成や寄付を募るための説得的な論理としては、アメリカのリージョナルシアター業界において、非常に有効に機能した。今でもその論理は、リージョナルシアターのファンドレイジングなどの場面で、変奏されながら使われている。

考えると、アメリカのリージョナルシアターの演劇の現場で働く人達が、これまでボモルのコスト病の妥当性を問題視しなかったことは、決して責められる種類のことではないだろ。現場の演劇人にとっては、ボモルのコスト病が現実に存在しているか否かは問題ではなく、それが助成金や寄付金を獲得するのに使える便利な道具であるか否かが、当面の問題だからだ。それに加えて、コスト病の論理には、「舞台芸術は非常に手間のかかる手仕事中心の産業だ」といったよな、演劇人にとっては、非常に実感的に理解でき、共感できるステートメントが多分に含まれている。細かい数字はわからなくても、「プリンストン大学教授による科学的・実証的研究」といことで信じてしまったといことも考えられる。

なってくると、最後に残るのが第3の論点だが、どして文化政策の研究者たちは、ボモルのコスト病の存在をこれまで疑わなかったのだろか。ちゃんとした検証を怠ってきたことの弊害は、少なくとも、現在に至っては大きくなっているのではないか。仮にそれを「古典」とみなすのであれば、批判的検討を経るべきであるのもそだが、しかし話は、そいった学問的手続きの問題に留まらない。ボモルのコスト病の研究者による未検証とい問題は、文化政策とい研究分野が暗黙のちに前提としているバイアスをも、照らし出してくれているよに思われる。

即ち、文化政策の研究者が、ボモルのコスト病の妥当性をこれまであまり問題視してこなかったのは、アメリカのリージョナルシアターに携わる演劇人と同様に、文化政策の研究者の多くが、「芸術文化への公的助成を是とする」とい、暗黙の了解に、そもそも立ってきたからではないだろか。

譬えが悪いかもしれないが、昨今の例では、原発を推進することと原発の研究がイコールになってしまっている状況と、基本的に同じである。芸術文化への公的助成が悪い、といっているのではない。現場の窮状を考えれば、上で述べたよに、現場の実践家がどんな理由であっても助成が欲しいと思い、あらゆる手段を尽くしてそれを獲りにゆくといのは当然だろう。しかし、文化政策の研究者が、その現場の論理にのみ込まれて、知らぬ間に、公的助成を是とすることを無前提に認めたかのよな立場で研究を行ってきてはいないだろか。改めて、自戒したいところだ。

実践と深く結びついた学問である文化政策とい分野を研究する限り、この問題はついて回る問題であるのは確かであろ。実際自分も、現場の実情について深く知れば知るほど、個人的な勝手な思い入れも含め、客観的になり切れない部分があるのも確かである。加えて、現場でNPOやアート関係の業に携わっている人達は、私としても人間として共感するところが多い。応援したくなるという気持ちは、私の中にも常にある。

研究者はしかし、単なる「応援団」ではいけない。「応援団」の少なさが問題なのではない。一昔に比べたら「応援団」は格段と多くなっている。にも関わらず、問題が山積し事態は一向に改善していない、とい現状が問題なのではないだろか。研究者の立場のあり方についても、文化政策研究会では今後、議論を進めてゆきたいと考えている。

2011年5月2日月曜日

第1回研究会「ボウモル&ボウエン理論の射程を考える」概要

4月27日(水)に第1回研究会「ボウモル&ボウエン理論の射程を考える」(スピーカー:神林龍氏)を開催しました。神林氏による発表のハイライトは、舞台芸術分野におけるボウモルのコスト病は実証されてはいないというもので、これまでコスト病の存在を前提として公的支援の是非を立論してきた文化政策学の前提を大きく問うものとなりました。議論は、ボウモル&ボウエン理論が受容された当時の社会的背景、ボランティア・エコノミーの是非等にも及び、研究会後の懇親会と併せ、第1回目にふさわしい有意義な議論をもつことができました。

次回開催予定は6月22日です。

第1回研究会のお知らせ (終了しました)

橋大学大学院社会学研究科市民社会研究教育センター
文化政策研究会 セミナーシリーズ
2011年度テーマ:文化政策の前提を問う

第1回「ボウモル&ボウエン理論の射程を考える」
ゲストスピーカー:神林龍氏(一橋大学経済研究所准教授、労働経済学)
日時:4月27日(水)17:30~19:30
場所:一橋大学国立キャンパス(東キャンパス)マーキュリータワー4階3406室

ボウモル&ボウエンの1966年の著書Performing Arts: The Economic Dilemmaは、アメリカにおける舞台芸術団体への公的支援制度の確立に貢献したとされ、現在、内外の文化政策学およびアートマネジメント研究において古典的地位を確立している。しかしながら、その理論の前提やその適用範囲についての理解が不正確なまま、彼らの理論が、いわば文化芸術への公的支援の理論的根拠として、一人歩きしてきた面がある。
現在、舞台芸術および文化芸術への公的支援の根拠が改めて問われる中、原点に立ち返る意味で、ボウモル&ボウエンの理論の前提と射程を再確認するとともに、その歴史的・現代的意義を検証する。

参加申し込みは、下記のメールアドレスまで。
一橋大学大学院社会学研究科市民社会研究教育センター
プロジェクト・ディレクター
青野智子
culturalpolicysg(at)gmail.com
((at)を@に変えてお送り下さい)

2011年5月1日日曜日

文化政策研究会を立ち上げました

2011年度のテーマは「文化政策の前提を問う」です。文化政策は、近年非常に注目を浴びている政策領域ですが、学問的にはとても整備が進んでいるとはいえない状況です。本研究会では、これまで文化政策学領域で暗黙にシェアされてきた前提を問うことで、当該研究分野の活性化を目指してゆきたいと考えております。月1回程度のぺースで開催予定です。皆様のご参加をお待ちしております。

一橋大学大学院市民社会研究教育センター
プロジェクト・ディレクター
青野智子

お問い合わせ先:culturalpolicysg(AT) gmail.com 
(AT)を@に変えて送信して下さい。

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趣旨:
文化政策が注目を浴びているという。1990年代以降の公的助成金制度の拡充、文化芸術振興基本法の成立の過程で、あるべき文化政策についての議論が高まり、大学においても、文化政策に関わる授業科目の開講、独立の文化政策関係学部・学科の設置がすすんできた。私たちは漠然と、文化に対する関心の高まりによって文化政策学の存在意義がますます重要となってくるであろうと考え、また現実世界も、そのような方向に動いているというのがコンセンサスになりつつある。

しかしながら、なぜ文化政策が有望な学問分野であるのか、なぜ文化に対する関心が高まりつつあるのかということになると、それらの問いに正面から答えようとする試みは、これまでほとんどなされてこなかった。そもそも実際のところ、なぜ文化政策が存在しているのか、その根拠ですら不明のまま、自明視されてきたといってよい。

このような状態は、学問的観点と実践的観点のいずれからも深刻な事態であるといえる。

第一に、学問的には、文化政策を成立させている前提を理解しないということは、学問分野としての文化政策学が、知的成果を蓄積してゆくための土台を有していないということを意味するからである。

第二に、実践的には、文化政策が一学問分野として確立していないということは、実際の政策実践において必要となる、正しい現状認識を得られないことを意味しているからである。

本セミナーは、文化政策の前提を問うことで、文化政策学を基礎づける理論と歴史的パースペクティブの構築を目指すものである。そのことは、文化政策学の確立という学問的文脈に貢献するとともに、文化政策の現在の見取り図や将来の方向性を指し示すという、実践的な要請にも応えるものとなるであろう。